良きリーダーは愚か者であれ。(老子)

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本日、取り上げるのは老子から。

老子は「会社経営に良く効く」というのが私の持論である。

特に大企業ほど恵まれていない中小企業ほど効果が大きい。

さて、今日伝えたいのは「良きリーダーは愚か者であれ」ということ。

どういうことか?

「天下皆我が道を大にして不肖(ふしょう)に似たりと謂(い)う。

夫(そ)れ唯大なり、故に不肖に似たり。」

(『老子』第六十七章より引用)

超訳すると、大きくて偉大なリーダーは愚か者に見えるということ。

逆を言えば、賢そうに見えるリーダーは実は小さいということでもある。

中小企業の経営者は、とかく自分を大きく見せようとする。賢そうに見えるようにする。

社員には舐められないようにする。そのため、変に肩が力が入ってしまう。

すると、どうなるか?

社長が賢そうだから、社員は頼ってくるのである。

「社長、この件どう思いますか?」

「社長、ここはどうすればいいですか?」

「社長、これはどう解決すればいいか?」

など。

いつまで経っても社員は自分で考えて動くようにはならない。

そうならないためにはどうしたらいいか?

賢そうに見せるのではなく、「愚か者」になることである。

するとどうなるか?

「社長を頼りにできないのであれば、自分でやるしかない」と下の者たちが自立するのである。

また、愚か者に見える社長には「俺たちがなんとかしたい」と賢者たちが集まりやすくもなるのである。

 

本当か?と思うかもしれないが、三国志の時代の劉備などがそうであろう。劉備の元には、賢者である諸葛亮公明や猛者の関羽や張飛が集まり、活躍した。残念ながら天下は取れなかったが、最後まで魏に抵抗し、善戦できたのは彼らのような優秀な部下たちの活躍によることは間違いない。

また、もう少しさかのぼって、漢の国を立ち上げた劉邦。彼自身は愚か者に見えたが、集まる部下たちは優秀であった。韓信や張良、蕭何など。彼らのおかげで最強軍団である項羽軍を撃破し、最終的に天下を取ることができたのである。

現代に当てはめるとニトリの似鳥昭雄さんなどがまさに老子のマネジメントに当てはまる。似鳥さんに関する著書はいくつかある。『落ちこぼれでも成功できる ニトリの経営戦記(大下英二著、徳間書店)』のタイトルにある通り、「落ちこぼれ」であり、決して賢者とは言えない。勉強もできなかったことも公言している。だからこそ、優秀な社員たちが「俺たちが盛り立てなきゃならない」と、ついてきたわけだ。

このように経営者が目指すべきは賢者ではなく「愚か者」である。良きリーダーほど愚か者に見えるもの。そうすると、部下たちは自立しやすいし、優秀な人材は集まりやすくなるのである。

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