本日もまた易経から大切な教えを。
「何かを成し遂げたい」
そう思った時、易経では「潜龍」から始まると言っている。
まだ潜っている状態。覚悟を確かめられるような段階。
それから、覚悟が決まり、「じゃあどうやったら将来、飛龍として活躍できるのか?」と悩んでいる状態。
易経では「どうすれば飛龍になれるか?」のヒントを教えてくれている。
それはこちら。
「見龍田(でん)に在り。
大人(たいじん)を見るに利(よ)ろし。」
(『易経』より)
見龍とは?
目的やゴールが定まり、世の中の見え方が変わってきている序盤の段階。
そこから、どうすれば飛龍となり、活躍できるのか?
易経ではこう説いている。
まず、「お手本」を見つけること。当たり前と言えば当たり前である。
私もコーチングを行う際、クライアントが新しいゴールを見つけたら、次は「お手本となる人はいますか?」と聞く。もし、いなければ「調べてきてください」とも言う。
そこで、真剣にお手本を見つけてくる人はその後に成功しやすい。が、お手本を見つけられない人はまず上手くいかない。
ちなみに、最近、野球の侍ジャパンの監督を務めた井端弘和さんは、プロ野球入団時のことを著書『守備の人(井端弘和著、光文社新書)』でこう語っている。
まず、「自分はそれほどパワーや打撃センスも高くなかった。ではどうすれば生き残れるか?を考え、『守備』を極めて生きていくと決めた」と。
それで、まず何をやったか?
お手本を探したのである。最もお手本とした人は、阪神タイガースの守備職人、久慈照嘉さんだった。彼の守備を徹底的に観察し、見様見真似で技を吸収していったのである。
それから、見龍時代のコツの2番目にもつながることだが、井端さんは次にどうしたか?
久慈さんに直接会いに行ったのである。ライバル球団だから、教えてくれるわけがないと思っていたが、会ってみると意外と優しく教えてくれたとこちらの『週刊ベースボールオンライン』取材記事で語っている。
そう。見龍時代のコツは、「会うこと」である。直接、そのお手本を「見る」ことである。
私自身、独立起業した時は、どんどん憧れの起業家に「直接」会うことを試みた。講演会やセミナーがあれば参加した。高い電車賃を払う余裕がなかったので、名古屋から東京まで夜中に車をすっ飛ばして、セミナーに参加することもあった。
宿泊するお金がほとんどなかったので、カプセルホテルに泊まることもあった。そこでは寝床がなくマッサージチェアーで寝てる人たちも多数見かけた。今でもいい思い出である。
このように「お手本」を見つけたら、次にやることは、できるだけ直接「会う」ことを試みることである。
そして、見龍時代のコツの3番目。それは、「基本」や「型」を身に着けることに精を出すということである。
井端弘和さんも著書『守備の人(井端弘和著、光文社新書)』で、ひたすら基礎練習を繰り返した。リズムを身に着けた。そう語っている。難しいことはしない。とにかく、基本を繰り返すことを徹底したと。
よく、型にハマることはよくないと言う人がいる。しかし、それは、「型」をしっかり身に着けた人がいうべき言葉である。
「型」をしっかり身に着けた人は、応用編として、「型」を離れる必要がある。そうして、独自性や個性が生まれてくるのである。これを「型破り」という。
ところが、「型」を身に着けてない人が、応用編をいきなりやるとどうなるか?「型なし」で大失敗することが目に見えている。
そうならないためにも、易経では見龍として、「基本」や「型」を学ぶことの重要性を説いているのである。
以上が、まだまだ世に出ていない段階の「見龍」の時代にやるべきことである。